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姉様キングスの日々の行動をせきららにカミングアウトします…
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 以前の姉様キングス交換日記で書いたことがあるかも知れないが、
前にこの町で強盗にあったことがある。もう10年以上前の話だ。

 マリオボロ通りという、大阪でいうたら御堂筋のような
メインストリートを歩いていたら、
いきなりタバコを吸わないかと差し出された。
ふっとそっちを見た瞬間、4、5人に取り囲まれ、
手も足も羽交い締めにされて、ポケットの中に手を突っ込まれて、
財布を抜かれかけた。

 あまりのことに

ぎゃあ〜!!!

と叫んだら、声のでかさに、
賊は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
おかげで、何も取られずにすんだのだが、
噺家なりゃこそあんな大きな声がでたのだろうと、
この仕事やっててよかったと、今になって実感する。

 実は今、バンコクでこの手の犯罪が急増しているらしく、
気をつけるように、大使館も勧告しているらしい。
ちなみに大使館はこの手の犯罪を
「強盗」ではなく「スリ」とカテゴライズしているらしい。

 けど、被害にあった実感として、
あの恐怖はスリというより強盗だと思う。

 以来、この町が怖くて、それこそ10年近く、ここを素通りしてきた。

 2年くらい前から、また来るようになったのだが、
それでもトラウマからか、どうして好きになれなかった。
マリオボロ通りは結構、ゴミゴミしているし、実際ゴミも多く、
汚い町という印象があった。

 今、通っている学校は泊まっているマリオボロ通りのホテルから
2キロくらい離れているので、
毎朝散歩もかねて30分くらいテクテク歩いている。

 ちなみにインドネシア人は歩くのがあんまり好きでないらしく、
ホテルからここまで歩いてますというと、
みんな「アホちゃうか〜」と言う。

 けど、この道中が非常に楽しい。
途中、下町のようなところを通るのだが、そこで生活をしている、
当たり前の人々を見るのが、嬉しいのだ。
笑談している老人、子供と遊んでいるお父さん、
ご飯を作っているお母さん…。

 つつましやかで、微笑ましい風景が広がってて、幸せな気分になる。

 で、学校は落ち着いた住宅地の中にあるのだが、
ここは、観光地でないので、人々は僕には目もくれない。
何も勧められないし、何の愛想もない。

 あなた方から比べたら、
少しだけやけど、小金持ってる日本人やで、僕は。
もっと商売気だして、たかったら?
とこっちが思う程、見向きもされない。

 まじめでシャイな人々ばかりだ。

 で、どこもこぎれいだ。

 この学校へ通いだして、この町のことが好きになった。

 これだけでも、この学校へきたことはよかったと思う。

 途中通る、下町の橋の上から、川でう○こしてる、オジヤンを見た。
おしり丸出しでやってたので、あまりの和やかさに、
写真におさめさせて頂きました。
帰ったらアップしますので、お楽しみに。笑
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 スタバは外人6割、現地人4割てな感じですね。

 こっちにも、中産階級は結構いてて、
そんな人たちには、ちょっと高いけど、行けないことはない値段
なのです。基本、お酒は飲みに行きませんしね。

 13日の金曜日、こちらは1割くらいはキリスト教信者で、
それも結構敬虔な人多いですけど、
あんまり、そんな話は聞きませんね。
 
 それよりも、金曜日はイスラム教信者にとっては
大事なお祈り日なので、
9割がイスラム教のジャワではそっちの人の方が目立ってますわ。

 歌舞伎いいなあ〜。そっちにいたら絶対行きたかったです。

 蜘蛛の糸は昔、猿之助で見てて、そこから来てるはずですから、
演出は一緒ですよね?今の藤十郎のでもみたことあるある。

 僕は座頭が木琴弾くのが印象的でした。

 けど、早変わりは大好きなんです。
見たらすぐ、マネしたくなる…。(オバカ)
フィナーレは今回新たに演出したんでしょうね。
すごかったんやろうな…。(うらやましい〜)

 「値打ちある」も大阪的でいい言葉ですけど、
僕は東京で見たとき、横のおばちゃんが
「ああ。面白かった!」っていうたんです。
言葉はよく分からないけど、きれいでなんかすごく面白い。

 とにかく「楽しかった」って思ったみたいで、
僕らもこれやで!と思ったものです。

 さて、日記です。

 語学も体で覚え系やと思うので、気持ちよく分かります。


 インドネシア語は他の言葉と比べて比較的簡単だと言われている。

 実際簡単な言葉というのはない、という意見もあるが、
それでも、インドネシア語は日本語よりは簡単な気もする。

 まず、日本語のように、単語さえ並んでいれば、
会話はなんとなく理解できる。
で、時制というものがない。
過去形も未来形もなくて、あるのは副詞のみ。
「もう〜してしまった」という言葉で過去を表し、
「まだ〜していない」というので未来を表す、といった具合。

 表記はアルファベットをそのまま読んだらよいし、
2、3を除いて難しい発音もない。

 で、インドネシア語は、戦後この国が独立がしたときに、
マレー語を元にしてできたものなので、
地域によっては全くの外国語として受け入れた人も多く、
年寄りなどは未だにあまり堪能でない人もいるそうだ。
だから多少の片言でも「はぁ〜?」みたいな対応はしない。
辛抱強く聞いてくれる。
しかもバリ辺りへ行くとちょっと喋っただけで、
結構感心されたりもする。
ただし、ジャワでインドネシア語は、喋れて当然、
わたいら英語なんかできまへんで〜。みたいな感じだ。
 
 そのインドネシア語の中でも最大の難関は他動詞だ。
(と僕は思っている)
 
 まず、日本語で考えても、
他動詞がなんのこっちゃ、よくわかっていない。
学校で「目的語を持つ動詞」と習ったような気もするが、
それってどういうこと?という感じで、
さあ、これは自動詞ですか?他動詞ですか?
なんていきなり提示されてもよくわからない。

 日本語でわからないものがインドネシア語でわかる訳がないのだ。

 で、その他動詞だが、
インドネシア語では他動詞化すると基本「me」がつくので、
「me動詞」と呼ばれる。
しかし、ここからがややこしく、根幹の言葉の最初のスペルによって、
この「me」が微妙に変化する。

 たとえば、lihat(見る)はmelihatなのだが、
baca(読む)はmembacaとmemがつき、
arti(意味する)はmengartiとmengが付き、
pakai(使う)はmemakaiと変化し、
sewa(借りる)はmenyewaと奇妙きてれつな形になる…。

 まあ、これはややこしいけど、
頑張れば覚えられそうな気がするのだが、
もっとややこしいのは他動詞化すると
意味が全く変わってしまう単語がある。
で、みんな意味が変わるのかというと、
そうでもなく同じのもある。

 アシーに、意味が変わる単語と変わらない単語は
どれくらいの比率であるか聞いたら、
「うーん、半分くらいは意味が変わるんと違うかな?」という答え。

 例えば、「起きる」という意味の「bangun」は
他動詞になると「作る」みたいな意味に変わる。

 けれど、これはなんとなく分かる。
この場合の「作る」というのは、例文から想像するに「
何かを立ち上げる」という意味らしいので、
「起きる」とは根っこの部分ではつながっているのだろう。

 もうひとつ例を挙げれば「意味する」のartiは
他動詞では「理解する」。

 これも、何となくわかる。
意味していることを受け入れればそれは理解した、
ということなのだろう。

 中にはイマイチ分からないのもある。
「住む」という意味の「tinggal」は他動詞になると「死ぬ」。
なんで?

 これは、僕の想像であるが、このtinggal(住む)というのは、
「ひとところに止まる」という意味で使っているようだ。
例えば、僕は、今ソロのホテルでこれを書いているが、
僕は今ホテルに「tinggal」(住んでいる)とインドネシア語ではいう。
部屋に忘れ物をしたとき「○○を置いてきちゃった」
というのも「tinggal」を使う。 

 と、なると、魂が体から抜けてひとところに止まるのが
「tinggal」なのかな?とも思う。
ただし、これはインドネシア人の死生観とも関わってくるので、
何ともいえない。

 ここのところをアシーに聞くのだが
「なんでかわからんけど、とにかく意味が変わるのよ」
としか教えてくれない。

 その点、イカは理論的である。
「dorong」(押す)は他動詞になると「サポートする」
となるそうやけど、これはなんで?
と聞くと「メンタル的に、相手を押してあげる、
っていうのがインドネシアではサポートなのよ」と即答してくれる。

 なるほど、落語の「愛宕山」で
「飛びたけりゃ、飛んで行け〜」と背中を押すのは、
明らかにサポートだ、と一人納得したりする。

 両先生は一長一短で、なかなか面白い。

スタバってどこ行ってもええ商売したはんねんね~
それって観光客目当てな感じ?

そらそうとそちらはキリスト教やないから
13日の金曜日を忌み嫌うなんてのはないんかしら?

その金曜日、私は午前中からジャグラーのレッスンよ。
えらいもんで今朝までまったくできなかった3つ玉でのお手玉が
教えを乞うと小一時間で少し続くようになった。
もう一つのバチでやるのもコツを教えてもらい
なんとか思ってるようなことが本番までにできそう。

落語と違ってこういう体に覚えこます稽古は
やればやるほど少しずつ上手くなるのがわかって楽しい。
で、休憩して次にやると、どうしてもできへんかったことが
突然出来たり。このへんは楽器と一緒やね。

落語も同じかもしれんけど、落語はネタ繰ってたら
1回目はAの間で、2回目はBの間でやったりして
どっちがええんかわからんようになったりするし
そもそもこの噺は面白いのか?なんて思ってしまったりするけど
体モンはAよりBのやり方の方が絶対良いっていうのがはっきりしてる。

今さろめは座布団回しの練習してるけど
(おい、何やってんねん、あやめ一門!)
支点にする場所は真ん中ではなくちょっとずれたココ、というポイントがあって、
内回りより外回りの方が遠心力付く、という理屈があって、
そらわかりやすいわ。やるんは難しいけど。

さて、そのあやめ一門は、今日松竹座に「花形歌舞伎」夜の部をば
観に行ってまいりました。
いや~面白かった!スカッとした!

1本目は「吹雪峠」
やくざモンの弟分が兄貴分の女房と割り無い仲になって駆け落ち
商人の夫婦になりすまして逃げるが男は体を壊し足元もおぼつかない
峠で吹雪に見舞われてやっと見つけた小屋へ逃げ込み暖をとっていると
そこへ2人が裏切った兄貴分が現れる…
とこう書くとものすごぉ暗いドロドロの刃傷沙汰で終わりそうやけど
実際はもう大爆笑モン。そのまま落語にできそう。

兄貴分が刀抜いた瞬間に2人が
「あの女がたぶらかしたんだ、あの女殺せ~!」
「何言ってんだい、あいつが行こうっていったんだよ、ねぇ~おまいさん~あんなヤツ斬っとくれ!」
「うるせぇこのアマ!」
てののしり合戦の命乞い。
七之助の女はサイテーやし、獅堂の男は与太郎口調やし、
愛之助演じる兄貴分があきれて笑い出す、という幕切れ。

2本目「実盛物語」はおなじみ源平の、主家に忠義を、
そのために娘が犠牲になる、という話ながら
琵琶湖の網にかかってた娘の腕をその亡骸にひっつけたら息吹き返す
という「んなアホな!」もあり、子役も可愛く楽しめた。

で、何といっても3本目の「蜘蛛糸梓弦」。
亀治郎6役早変わりはまさに神出鬼没、薬売りの男が
花道のスッポンにシュッと消えたかと思うと
チャリン!って花道の後ろの幕が開いて黒裾引きの芸者で現れた時にゃ
ぎゃ!って叫んだわ。しかも着付けが綺麗やねん。
女童、薬売り、芸者、座頭、花魁、最後の蜘蛛の妖怪まで
踊りまくり。衣装や松竹座の舞台いっぱいの大きさの幕まで蜘蛛の巣だらけ!

ここで蜘蛛マニア、亀治郎びいきとしては気がイってんのに
最後は花形歌舞伎の7人全員が並んで蜘蛛の巣が上からドサッと落ちてきて
フィナーレ。スタンディングオベーションにカーテンコールもあり。

出てきたオバチャンが言うてた言葉がこの夜の芝居を総括してた。
「いや~値打ちあったわぁ~」
大阪人は高いお金出したらそれに似合う満足を得られたか?
というのを口に出すもんやけどこのオバチャンは「2万までやったら出してもええわ」
ゆうてました。ちなみに私は1Fの一番後ろの列真ん中があったので
その12600円の席×2のお金払った訳やけど見やすかったし
やっぱり値打ちあった思う。
ちなみに他のオバチャンがゆうてたこの言葉も共感。
「やっぱり若い子はきれいでええねぇ~」

フィナーレを隠し撮りしたけどうまく写ってなかったの。
けど、華やかさだけは伝わると思うんで載せときま~す。

(蜘蛛の巣が上から雨のようにザッと降り、全員並んで見得)





 今日はすごくいい天気。雨期のジャワには珍しく快晴だ。

 晴れるとすごい日差し。肌にずしっと、のしかかってくる感じで、
重くて刺すようだ。

 その中を1時間くらい歩いて、ジャワの伝統菓子を買いにいった。

 ここ、ミロタベーカリーはパン屋でもあるが、
伝統菓子をを色々扱っていると聞いたので、試しに。

 そもそも何でこれを買いに来たのかというと、昨日の授業で、
インドネシアの米と日本の米の比較、という話題が出たから。

 インドネシアの米は日本とはちょっと違うが、タイ米程は長くない。
で、バリのスーパーマーケットで「シンガラジャ産コシヒカリ」
という米を見たことがあるので、
きっと、日本米のような米も食べられてるはずだ。と僕が言うと
アシーは「そうよ、インドネシアには色々な米があるのよ。
日本みたいな米から、タイ米のように香りのある米
(タイ米はその独特な香りからジャスミンライスと呼ばれる)、
赤米もあるし、餅米もあるのよ。」
「餅米は日本にもあるよ。」
「じゃあ、同じね。餅米は主にお菓子用でしょ?」
「うーん?餅はお菓子的に食べられることもあるし、
食事として餅を食べることもあるよ。焼いたりして。」
「え???餅を焼くの??インドネシアでは焼いて食べることないわ。
主にお菓子を作るときに使われるのよ。
普通に炊いて、中に具を入れて、
バナナの葉でくるんで食べることもあるけどね。」
「そういえば前に、日本で柔らかい餅のような中に、
シロップが入って、ガワはココナッツの粉をまぶしてあるのを
食べたことがあるよ。」
「ああ、緑色のやつでしょ?」
「うーん、僕が食べたのは白かったけどなあ。」
「普通は緑色よ。シロップみたいなのは、ヤシから取った砂糖で、
こちらでは『赤砂糖』っていうのよ。
そのお菓子ね、名前は何ていうのだっけ…。
うーん忘れちゃったけど、ミロタベーカリーに行けば売ってるから、
食べたかったら行ってみたら?」

 で、買いに行ったというわけだ。
3種類買ってみて、写真も撮ったのだが、アップは帰国後に。

 午後からは、去年ジョグジャカルタに登場した、
トランスジョグジャというバスに乗って、プランバナンへ。
町から15キロくらい離れてるから、
タクシーを使えば相当な額になる。
今までは、タクシーで行くか、
バスを乗り継いで行くのが一般的だったので、
高いか面倒くさいかのどっちかを選択せねばならず、
もう15年くらい行ってなかったのだが、
トランスジョグジャはホテルの近所にバス停があり、
それに乗れば3000ルピア(25円くらい)で行ける。

 ああ、そうそう、プランバナンって何か説明してませんでしたね。
 ヒンドゥー教の遺跡です。お寺ね。
現地語では仏教寺院やヒンドゥー教寺院はチャンディと言うので、
正式にはチャンディプランバナン。

 元々、ジャワは仏教国だったので、その頃の遺跡がボロブドゥール。
その後、ヒンドゥー教に改宗して、その頃に作った遺跡がプランバナン。

 その後、イスラム教が入ってきて改宗、ということになったのだが、
改宗をいやがった王が家来や、手飼いの職人を連れて、
バリに逃げたそうで、だから、未だにバリはヒンドゥー教。
中部バリに行くと、例えば、チュルックは銀製品、
バトゥブランは石細工、マスは木彫り細工、
ウブッは絵描きの村になっているが、あれは職人が固まって住んで、
子孫に伝えていったからなのだそうだ。

 で、話を戻して、
実は、12月に来たときもプランバナンへ行ってみた。
チケットを買おうと並んで、8000ルピア払おうとすると、
外国人はあっちです、という。
行ってみると、特別入り口があって、10ドルと書いてある。
現地人は70円弱で外国人は900円て、
それはひどいと怒って入らずに帰ったのがだ、
今回、学校に来ている他の日本人に聞くと、
ジャワ大地震以来、崩れてしまったプランバナンを、
立て直す予算が国にはないらしく、ユネスコに丸投げしたらしい。
で、独立採算制を取らなければならなくなり、
外国人からぼったくる(?)という方法が考え出されたそうだ。

 まあ、それならお金を落としに行こうと、
行ってみると、たった2ケ月で、
1ドル値上がりして、11ドルになっていた…。泣

 ともかく入ってみたが、まだまだ改修中で、
遺跡には入ることができない。

 まあ、しょうがないけど、一応大金(?)払ったのだし、
遺跡公園の隅々まで歩いてみようと、
奥の方にある「セウィ」という名前のチャンディーに行くと、
中で掃除してたおじさんが、「入っておいで、入っておいで」という。
といっても柵があるから入れないよ、というと
その柵を乗り越えて入って来い、という。
聞けば、ユネスコの職員でボスは日本人だから、特別に案内したる、と。
あ、来たな…、とは思ったが、まあ、中へ入れるならついて行こうと、
連れて行ったもらった。
自分は親代々、この墓守をしてる者なのだが、親が最近死んでね、
で、今は一人でここにいるねん。
このチャンディーは仏教色が残っているチャンディーでね。
ここに蓮座が描いてあるでしょ?元々この上には仏様がいたのよ。
さ、こっちおいで。これがお参りの回廊、
ここをお経を唱えながらグルグルまわるねん。
ここにも仏様がいてね。
…とまるで、天王寺詣りの甚兵衛さんのごとく案内してくれた。

 外へ出ると、「先の地震で子供が大けがしてね。
ワシはお金が必要なんじゃよ…。」と、手でお札をコクまねをする。

 来た来た…。案内してもらったから払おうかなとも思ったけど、
さっき11ドルも払ったので、
「かわいそうやね。頑張ってね」とだけ言い残してその場を去った。

 帰りはジョグジャで一番大きなショッピングセンターへ立ち寄って、
久々にそこに入ってるスタバでお茶してから帰宅。

 スタバって、こっちでも、日本とあんまり変わらないくらいの値段だ。

 このお茶代を節約したら、
さっきのおじさんに少し施してあげられたのかな?とちょっと反省。

 
 まあ、お姉様、揚野先生に習いはるんですね?
当日が楽しみですわ〜。
 
 クモグッズ見つけたらゲットしときますね。
ちなみに、クモグッズはインドネシア語でバランバランラバラバ、
…バラバラ言うのです。

で、また旅行記です。

 担当の先生はカ先生とルーシー先生と思っていたら、
2日目以降はアシー先生に変わった。
彼女は前回12月のときも担当であった。
(何で変わったのかは不明。ルーシーに、
昔の色町でいうところの「もらい」がかかったのか、
ルーシーが僕を拒否したのか。汗)

 インドネシアでは、目下の女性をMBAK
(ンバッ、と発音する、お乳母どんの「んば」と同じ発音)と呼び、
目上の女性、または結婚している女性をIBUを縮めてBU(ブ)と呼ぶ。
ちなみに男性は目下をMAS(マス)、
目上はBAPAKを縮めてPAK(パッ)と呼ぶ。
なので、アシー先生を僕は「ンバッアシー」と呼ぶ。

 アシーは僕のことを「パッセイイチ」と呼ぶ。
精一は本名です、はい。

 インドネシアの特徴なのか、ジャワの特徴なのか知らないが、
何かにつけて、「パッ」を連呼する。
「それでね、パッ、今日の授業のことやけどね、パッ、
次のカ先生はね、パッ、今日はお祈りの都合でね、パッ、
10分授業が遅れるそうやからね、パッ、よろしくね、パッ。」
って、旗本退屈男かと思いました。(例えが古い?)

 で、ンバアシーは例えたら、サザエさんみたいな雰囲気の人で、
大の噂好きである。なので、毎回色々な情報をくれる。

 ねえ、知ってる?カ先生はほんまカと違うねんで。
ほんまはイカやねん。けど、CUMICUMI(チュミチュミ)のこと
日本語で「イカ」っていうんでしょ?
CUMICUMI先生ってあだ名付けられるのがいややから、
自分のことカです、って自己紹介するねん。
でもイカっていう名前はジャワでは伝統的な名前でね。
最初に生まれた女の子につける名前やねん。
けど、最近では古くさいからって誰も自分の子に
「イカ」って名前はつけないねんけどね〜。
(日本でいうたらさしずめ、カズコはん、てなものか?)
けど、イカは週4回合気道習いに行ってるらしいから、
ああ見えて逆らったら怖いで〜。
 
 知ってる知ってる?前に習ってたクリスティンね、
結婚する、っていうてたでしょ?
けど、まだ結婚式してないねんで〜。
彼氏の仕事がジャカルタやから、取りあえずついて行ったんやけど、
むこうでも共働きにせなやっていかれへんから、今仕事探し中やねん。
仕事がみつかって、落ち着いたら、こっちへ帰って結婚式するらしいわ。
多分8月くらいになるんちゃうかな?

 ねえ、知ってる?今、この学校にはパッセイイチを含めて
8人の日本人がいるねんけど、
さっき、ロビーにいてた、アキちゃんね、
なんでインドネシア語習いだしたかっていうたらね、
バリにインドネシア人の恋人がいてて、
その子は日本語ペラペラやねんけど、
インドネシア語でしゃべりたいからってね、それで初めたのよ。
もう何回もここへ来てるねんけど、
いつもインドネシアに2週間滞在してね、
半分はこの学校で過ごして、
半分はバリの彼氏に会いに行ってるねんで〜。

 知ってる知ってる知ってる〜?あのユキコってこね、
12月から6ヶ月この学校へくることになったんやけど、
入学日が、12月24日やねん。
何でかっていうと〜、ジョグジャに彼氏がいててね、
その子とクリスマスを過ごすために、こっちへ来て、
そのままこの学校へ入学したってわけよ〜。

 きっとフリートークで聞き出した情報なんだろうけど、
…みんな筒抜けです。

 けど、ジョグジャ情報もたくさん教えてくれる。

 あそこへ行くにはどこから何番のバスに乗ったらいいかとか、
あそこへいけば、こんな変わった食べ物があるとか、
バティックはこの店で買ったら安いとか。

 なので明日は、教えてもらったパン屋さんへ
ジャワの伝統菓子を買いに行く事にしよう。
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