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ぐっすり寝て、6時半起床。今日からまた学校である。
去年12月から行きだして、去年は一日6時間、
6日コースだったが、さすがに一日6時間はしんどかったので、
今回は4時間コースにして時間も少し早めてもらった。
前は、10時から1時と1時間休憩して、2時から5時だったのを、
今回は9時から11時で1時間休憩して、12時から2時。
ホテルへ帰っても2時半なので、後は他のことに時間が使える。
9時少し前に行くと、今日は校長のニンシ先生はまだ来ていなくて、
今日から担当のカ先生が出迎えてくれた。
「カ?カだけ?」と聞くと「そう、KA」
この先生、どっかでみたことあると思ったら、
顔といい、小ささといい、落語作家のくま○わあかねさんそっくりだ。
12月に来たときは。前半がアシー先生。
後半はクリスティン先生だったのだが、
クリスティンは結婚してジャカルタに行ったので、
今回の担当の先生は総入れ替わりになるそうだ。
で、授業だが、2時間のうち1時間半以上はフリートーク。
世間話をしながら、言葉数を増やしていく。
なので、ほとんど僕が喋る。
初対面の先生が必ず聞いてくるのは、
何でインドネシア語を習おうと思ったのか?
いつもこんな風に答える。
最初にインドネシアに来たのは今から19年前。
大学のときに、演劇と音楽学に所属していたので、
学内にガムラングループがいた。
今でもそのメンバーの人たちとは付き合いがあるのだが、
その影響でインドネシアを旅行してみようと思った。
バリ島に、日本語が話せるオーナーのいるホテルがあり、
日本でバリガムランをやっている人たちはそこを定宿ににしていたので、
僕も勧められてそこへ泊まった。
おそらく当時一泊500円くらいの宿だったと思う。
そこで、東京芸大のガムラングループに会って聞かれた。
「あなたはどれくらいインドネシア語ができますか?」と。
その頃、僕は「ありがとう」も「こんにちは」も言えなかった。
で、その人にこう言われた。
「それだったらあなたはこのホテルに泊まる資格はないし、
この地域にいる資格もない。
確かにオーナーは日本語ができるが、
他のスタッフはインドネシア語すら、堪能でない人もいる。
(現地ではバリ語で喋るので)
一歩ホテルを出たら更に更に、である。
1万円くらいだせば、リゾート地に日本語が通じる宿があるから、
もしインドネシア語が全くできないなら君はそこへいくべきだ」
…当時、かなり悔しくて、
さあ、それなら次に来るときには
もっとインドネシア語を勉強してやろう!とリベンジを誓うのだが、
結局いつまで経っても、上達しない。
最近気がついたのだが、僕はかなり人見知りする性格なので、
自分から人を捕まえて、喋るなんて、到底できない。
これがいつまで経っても上達しない原因だ、と最近気づいて、
こうして、学校に来る事にした。
と。
昼ご飯は近所のサテ(串焼き)レストランでヤギのサテを。
今回は携帯で、食べ物写真を中心に、色々撮るつもりなのだが、
アップは帰国後になります。お許しを。
午後はルーシー先生。朗らかな、何となく幼稚園にいそうな先生だ。
すごく楽しそうに話を聞いてくれるので、何となく盛り上がる。
午後は、テキストを一瞬読む。スポーツの話題。
これを元に、スポーツについてまた1時間半以上語る。
ところが、スポーツに全く興味のない僕は、この話題では広がりがない。
頑張って、朝青龍が優勝したことと、
日本では今、ゴルフをやってる少年で「ハニカミ王子」
という人がいるということを一生懸命喋る。
「へえ、『ハニカミ王子(インドネシア語で
PENGERAN PEMALU→はずかしがりな王子、と訳してみた)』
っていうの?で名前は?」
「SAYA TIDAK TAHU(知りません)…。」
(なんぼほどスポーツ音痴やねん…)
帰ってダラダラして、
夕食は中華料理屋でTOHU SAPO
(豆腐を土鍋で炊いたような料理)とビールで。
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