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昨日は、寝たのか寝てないのかわからい状態のまま一日が過ぎた。
朝起きるると、全快!となってほしかったのだが、
やっぱりしくしくと痛む。
それでも、ゆっくりなら何とか動けそうなので、出ることにした。
数日前に連絡を取って、国際交流基金の人と会う約束をしているのだ。
電話番号も何も知らないし、ドタキャンもできない。
何かと動きが遅く、待ち合わせ1時間前には
出ようと思っていたのだが、30分近く過ぎてようやく外出。
向かうところはホテルからモノレールで4駅、
乗り換えて電車で1駅のところなので、
30分あれば行けるかな?とも思っていた。
例えればちょうど、心斎橋から十三へ行くような感じなので。
ところが、この乗り換えにまずすごく時間がかかった。
例えると、御堂筋線から阪急に乗り換えようと思ったら、
梅田駅が改装工事をしていて、
これでぐっと回り道をせねばならない。
油汗をかきながら、やっと乗り場まで行くと、
梅田から十三までの電車が20分以上来ない。
なんやかんやでやっぱり1時間かかってしまって、
30分遅刻して国際交流基金へ。
去年お話させてもらったS氏がちょうど異動になって
1週間前に日本へ帰られ、
代わってOさんが2週間前に日本から来られた。
実はこのOさん、去年、国境なき芸能団が
ブラジルへ行ったときの担当だったそうで、
何かと話が通じ、加えて、上司で、僕が学生時代、
学内にあったジャワラムランのメンバーで、面識もある、
Kさんがインドネシアの国際交流基金の所長になったとのこと。
お姉様には詳細はまた帰って報告致しますが、
俄にこの地域の公演が実現しそうな予感がしてきました。
またどうぞご協力願います。
しばらく事務所で話をしていたが、所長も出て来て下さり、
ご飯を食べに行こうと誘って下さった。
体調が悪い旨伝えると、そしたら、お粥にしましょうと、
お気遣い下さり、そこで色々話を聞く。
そこで聞いた話。インドネシアのバンドゥン
(歴史の教科書に出ていた、バンドン会議のあった場所)という町に、
元落語家(所長の記憶では上方落語家だったらしい)
で今は繊維機械の会社を経営している人が住んでいるらしい。
へえ~。
お粥のお陰で、随分元気になったような気がする。
しばらく町をうろついてから帰って、
ネットでさっき話に出た「元落語家」のことを調べてみた。
まず「インドネシア 落語家」で検索してみると
…僕のプロフィールばかり出てくる。(いや~ん)
「インドネシア 芸能人」で検索したら、
インドネシア好きの芸能人というページがあって、
姿月あさと(一時バリ島に住んでいた)林家染雀と出た。
何か、嬉しかった。(自慢か!笑)
「バンドゥン 元落語家」で検索すると、
その人の事が新聞記事になったらしく、
そのシリーズを集めたものが出版されているという記事が出て来た。
確かに存在するらしい。
がそれ以上はわからなかった。どなたかご存知ありませんか?
部屋でゆっくりして、夜は胃に優しそうな、
野菜バクテーを食べて、体を温めて早めに寝る。
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