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朝から要らなくなった本類やジョグジャで買った布を梱包して
郵便局から送る。
6キロ分、荷物が軽くなった。
帰りに、お気に入りのパダン料理屋へ寄って昼ご飯。
パダン料理とはスマトラ島のパダンという土地が発祥なのだが、
今ではインドネシアの全土どこにもある料理屋になっている。
サーブの仕方が変わっていて、客席に着くと、
全部の料理が小皿に取り分けられて出てくる。
で、食べた分だけ後で精算する。
手を付けた皿の料理が精算対象なので、少しでも手を付けてしまうと、
その分は払わなければならない。
手を付けなかった料理は、また次の客に廻るという、
日本でいう「船場吉兆方式」である。笑
ただ、吉兆と違うところは、料理は全部、朝のうちに作って、
大皿に盛って、ショーウィンドーに飾ってあるのだ。
新しかろうが、前の客のであろうが、どっちみちものは同じだ。
このごろはこのやり方が不合理だと、インドネシア人も気づいたのか、
一人で店に入ると、特別に頼まない限り、定食屋のように、
ご飯を盛ってもらって、その脇におかずをつけてもらう、
という方式をとる。
なので「卵ひとつと、そのチキンの焼いたのと、肉と、野菜と
…あ、その肉の汁、ご飯にかけといて…」みたいな感じで注文する。
僕はパダン料理の中ではカレー風味の煮玉子とあげナスと
ルンダンが大好きで、これは外せない。
ルンダンとはココナッツミルク入りのカレーで
コトコトと長時間煮込んだ牛肉で、極ウマである。
パダン料理のテーブルに必ずおいてあるのが、
「ウンピン」と呼ばれる揚げせんべい。
よくお土産にもされる、えびの揚げせんべい「クルップッ」
は有名であるが、こちらは見た目は小さめのポテトチップス
みたいな感じで、松の実か何かから作っていると聞く。
ちょっと苦いのだが、なかなか風味のあるスナックで、僕は好きだ。
どういう訳か、おかず、ご飯と共に食べる。
もうひとつ、この料理は基本、手で食べる。
もちろん使うのは右手だけ。
こうすると「手もおいしい」というのだそうだが、
手についたカレーなんかをチュッチュッと吸ってみると、
何となくこの意味がわかる。
ただし、僕はうまくご飯をつかめないので、
長らく手で食べるのをやめている。
(昔、手で食べて、ぼろぼろこぼして大笑いされたことがあって、
それ以来、どうも苦手)
隣の中年夫婦が料理を全部並べて、手で食べていたので、
記録に隠し撮り。
部屋に帰って、またダラダラして、
夕食はシーフードの中華にいくことに。
(ホンマに何の観光もしてないの…)
最後にカニを食べようと、これもよく行くなじみの店に行くと
「kepiting lemburi」というのがおすすめよ、という。
クピティンはカニなのだが、ルンブリがわからない。
英語表記にはベビークラブとある。
まあ薦めるのやったらと頼んでみたのだが、
出て来たのは小さめのカニを衣をつけて殻ごと油でカラッカラに揚げた、
骨せんべいのようなものだった。
どっちかというとカラの香ばしさを楽しむ感じで、
カニの味が全くしない。
しかも大量にある。
カニが食べたかったのに、骨せんべいかいな、と思いつつ、
ビールに合うので空心菜と共に。
考えたら、今日はバレンタインデーなんやなあ…。
食堂を出ると、もう10時前なのにすごい人。
土曜やからかな?とも思ったが、ちょっと様子が違う。
そういえば、昨日も一昨日も夜、騒々しかったし、
昼間もデモやってたり、何かと人が集まっている。
…そうか、選挙が近いねんなあ。
失脚したスカルノ(デウィ夫人、
あ、ヴィではなくウィが正しい発音、の旦さん)の娘、
メガワティーが最近党首になった、日本でいうところの民主党と、
暴動を起こして、スカルノに反旗を翻したいわゆる自民党の対決らしい。
この国は熱くなりすぎると、盲目になってしまうところもあるので、
不穏な空気が流れないうちに退散するのが賢明だ。
明日からはマレーシア。
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体調はすっかりよくなりましたの。ご心配おかけしました。
また詳細は日記でご報告いたします。
そう、インドネシアに関しては結構誤解されてるようです。
うちの師匠にも「ほんでどこに部屋借りてるねん」って
言われました。…住んでません。
お姉様、後半月足らずで、サックスにジャグラーて、
昔、正月番組で見た、「隠し芸大会」思い出しましたわ。
あれって、芸能人が忙しい合間縫って、
猛練習して、当日迎えてたけど、あんな感じなのでしょうか?
僕も早く台本読まな。
…いや、ちゃんと明日から取りかかりますって…汗。
4月3日了解です。ありがとうございます。
また、えらい、キャラの方見つけて来られましたわね。
化粧むいたら、勘○のお師匠はんてことないのかしら?笑
そういえばあの人のお父さん逮捕されましたわね。
今日、ニュースでやってました。
で、今日の話題はテレビです。
授業が終わって次の日、ゆっくり起きて準備して、
マリオボロ通りでアシーに教えてもらった、
バティックテキスタイルの店に買い物に行く。
バティックというのは通常1m×2mの布にロウを
たらしてそこを閉じて染める、いわゆるろうけつ染めというやつである。
そのなかにも、型押しのもの、手書きのもの、と色々あるのだが、
比べるといいやつ程風合いがあって、見れば一目瞭然である。
現代になって、シルクスクリーンプリント製のバティック
というのも作られだして、これは柄の並びは正確なのだが、
味わいが全然なくて、今まであまり買ったことがなかった。
ところが最近、バティックがテキスタイルとして色々使われだして、
技術も進歩したようだ。
シルクスクリーンのいいところはロールした長い長い生地に
プリントできるので、好きな長さがメートル買いできるという点。
マルガリアという店は本物のバティックも置いているが、
このテキスタイルの品揃えが多く、しかも、素敵な柄が多い。
値段も手頃だ。目移りして、長居したら、
きっと山ほど買い込んでしまいそうだから、
10分程でパパッと2種類の生地を買う。
ホテルと隣接のショッピングセンターでゆっくりコーヒーを飲み、
12時半チェックアウト。
13時半の電車でソロへ。
前回もそうだが、授業の後は息抜きで、
大好きなソロへ行くようにしている。
といっても、何をしに行くわけでも、何を見に行くわけでもない。
…もちろん誰も待ってません。笑
この町にの空気を吸っているのがなぜか好きなのだ。
ジョグジャとソロはどれくらいの距離があるのだろう?
50キロくらいと思っていたが、車で2時間以上かかるので、
100キロくらいあるのだろうか?
タクシーで行けば、
今だったら30万ルピアくらい取られるかもしれないが
(それでも2500円くらい)、
電車で行けば7000ルピア(60円弱)。
しかも1時間で行ける。
14時半、電車は定刻でソロに到着。
ベチャ(人力車みたいになってるが、
前から人がひくのではなく後ろに自転車がついてて、
それで押して走る)で10分でホテルへ。
ノボテルソロは最近のお気に入りでソロへ滞在すると定宿にしてる。
すごく機能的で、ホテルの対応もよくて、何かと便利な立地にある。
フロントへ申し込んでパスワードをもらえば
部屋の中で無線LANも使える。
ただ一旦申し込めば、24時間分で8万ルピア(700円弱)
と結構するのだが、
実は去年12月に来たときのパスワードを持っていたので、
多分無理だろうと入力してみたら、
これで、難なく開いてしまった…。
こんな、スキだらけのところも大好きである。笑
そして、何より嬉しいのはNHKの日本語版が見られることだ!
ご存知だろうか?
海外版NHKは2種類あるのだ。
どちらも「NHK WORLD」というチャンネル名なのだが、
ひとつは完全英語放送。ひとつは日本語放送なのだ。
といってもどちらも番組は、日本で制作されたものを放送する。
ニューなんかでよく、外人にインタビューしてる映像で、
外人が話し出してしばらくすると、
本人の声が極小になってそれにかぶせて
日本語の同時通訳が入るというのがあるが、
あれの反対のものが、延々流れる。
しばらくは頑張って見ているのだが、すぐに飽きてしまう。
で、結構、「NHK入ってます」とうたってるのに、
つけてみたらこっちのチャンネルだったということが多いのだ。
こんなホテルに当ると
「配慮が足りん!」
と叫んでしまうのだが、このノボテルはちゃんと日本語放送が流れる。
日本を発って日本の情報が途絶えがちなので
(ネットニュースはチェックしていたが)思わず、見てしまった。
で、このNHKのラインナップが結構いいのだ。
1時間ごとに、ニュースが流れ、
午前中は主婦向けに「今日の料理」「おしゃれ工房」
「趣味悠々」(今は裏千家のお茶講座)、
日曜日になると「生活笑百科」(くにおとおる師匠出てはりました)
「趣味の園芸」…。
それが終わると、普段なごみ嬢が見ている
「英語で遊ぼう」「日本語で遊ぼう」「ピタゴラスイッチ」
「おかあさんと一緒」「天才テレビ君」…と続き、
「子供ニュース」が終わると、そろそろ大人の時間。
「NHK特集」「ためしてガッテン」「プロフェッショナル〜仕事の流儀」
「そのとき歴史が動いた」「ニュース&スポーツ」
「視点論点」(ジェロが出て演歌の魅力について語ってました)
「熱中時間」「クールジャパン」
「東京おしゃれイズム」(でしたっけ?沢村一樹の出てるやつ)
「サイエンスゼロ」「カンゴロンゴ」「邦楽の基礎」
「爆笑問題の学問のススメ」「美の壷」…。
そして、日に3回「だんだん」も流れ、
お笑い番組も結構豊富である…
て、なんぼ程、見とんねん!
…だって、どれも面白いんだもの。
僕は、スポーツは全く興味なにのだが、
面白いのはスポーツ選手がプレーしている映像になると、
「映像権のため、放送できません」
という画面変わって声だけが流れる。
昔よく、「しばらくおまちください」
という画面が出てたのを思い出した。
で、なぜか知らないが、はにかみ王子と卓球少女だけは
プレー画像も流れる。どういうことなのだろうか?
ソロは、できれば、スクー寺院という遺跡に行ってみようかな?
とも思ってたけど、バスを乗り継いでいったら、丸一日仕事で、
しかも面倒くさそうなので、結局行くのをやめて、
スラビという、ソロ銘菓(ココナッツを使った
カラメル焼きのようなお菓子)を買い込んで来て
それを食べながらテレビを見て、ダラダラとホテルで過ごす。
まずは、業務連絡から。9月のその日は全部空いてますわ。
どうぞよしなに。
なごみすごい顔ですわね。
本人の了解得てのアップなのかしら?笑
こっちでもバレンタインありますよ〜。
スーパーでチョコ山積みされてたから、
チョコを贈るのかもしれませんが、
普通のプレゼントをあげるみたいで、
それも本命のみに、みたいです。
ひょっとしたらイスラム教徒はあんまり興味ないかもしれません。
で、今実時間ではクアラルンプールにいるのですが、
体調絶不調です。
水分とったら途端にすべて出てしまう…みたいな。
何も食べられないし、ちょっと熱っぽいし、
こんなときはホテルで寝てます。
で、少し送れてますが、日記はジョグジャ最終日です。
お姉様のご想像の通り、フリートークはマニアックを極める。
といっても、今回は大分ましになったかな?
前回はひどかった。
例えば、「卵って発音しにくいねん。」
「そう?」
「前にソロでね、定食屋で注文したとき、
卵って言ったら何遍言うても通じなくてね。
しかたないから英語でeggっていうたのにそれも通じなくて、
いらっとして
たまご~!!
っていったら…ナスが出てきて。
ナスも好きだから、食べたけどね。」
「(笑)ナス好きなの?」
「好き好き。」
「日本にもナスはあるの?」
「あるよ、おいしいよ。『秋なすは嫁に食わすな』
っていう言葉があるくらい。」
「秋なすは嫁に食わすな?なんで?」
「秋のナスは、おいしいから、
もったいなくて嫁には食べさせたらあかん、って姑が言うのよ。」
「何でよ?おいしかったら食べさせたらいいやん?」
「姑の意地悪やね」
「姑はなんでそんな意地悪をするの?」
「ええ?嫁姑っていうのは仲悪いでしょ?息子を取られる訳だから」
「インドネシアでは仲いいよ。
だって自分の娘が一人増えたって考えるもん。」
…といった話が延々続く。
今回もいろんな話がでた。
例えばこちらではケンタッキーフライドチキンでは
必ずご飯がつきものだ。
「あれ?日本は違うの?」
「ケンタッキーフライドチキンではご飯は食べないよ?」
「じゃあ、何食べるの?」
「トリだけか、パンとか食べるはず。」
「何でよ?トリを食べるときにはご飯たべなきゃ。
日本はご飯食べないの?」
「食べるよ。人によっては『米の飯を食わな力が出ない』
っていう人もいるくらい」
「じゃあ、何で食べないの?」
「だって、ケンタッキーはアメリカから来た食べ物だから、
それを食べるときにはご飯は食べないよ。
マクドナルドでもご飯食べるの?」
「それは、ハンバーガーだから食べないわよ。
インドネシアはアメリカンフードでも
自分たちの食べやすい様にアレンジしてるのね。」
みたいな話。
お茶の話(お茶セレモニーと訳してみた)。
日本人とインドネシア人の宗教観の違い
(この手の話はイスラム教徒には
けっこうデリケートなところもあるようで、
怒らせない様に最新の注意が必要…とはいえ、
きっと気を悪くしてることもいっぱい言うてるはず。汗)
macam macam(その他色々)…。
今回はあまり出なかったが、たまに自由作文の宿題も出る。
文章を書く練習なのだろう。
一度出た宿題のテーマは
「日本とインドネシアの同じところまた違うところ」。
ケンタッキーのような話で他に例があったら書きなさいというものだ。
で、僕が書いた内容。
トイレ
日本のトイレとインドネシアのトレイは同じである。
それは2種類のトイレがあるところ
即ち、しゃがむタイプのトイレと座るタイプのトイレ。
元来日本では、しゃがむタイプしかなかった。
なので今でもしゃがむタイプのトイレは「和式」と言われている。
で、違うところであるが、これは座る方向。
インドネシアは入ってから振り返って座るが、日本は奥向きに座る。
よく聞く笑い話だが、狭いトイレに体の大きな人が入って、
鍵をちゃんとかけずに入ると、座ったとき、
自分のお尻で扉を開けてしまい、
外から下半身が丸見えになることがある。
前回、インドネシアに来たとき、帰りにの空港で、
日本から来たツアーのおばちゃん達が言っていたのだが、
おばちゃん達は入る方向を知らなかったらしく、
奥向きに座っていたそうである。
おばさん達はみんな、「使いにくいトイレだ」と言っていた。
また、日本のトイレも陶器でできているが、足を置くあの部分がない。
(注:インドネシアには陶器のあのガワの部分が
人の顔の輪郭のようになっていて、その耳の部分に足を置く)
あるおばさんは、足を置くあの部分を踏んではいけないと思い込み、
股をぐっと広げて使っていたそうで、
「本当に使いにくいトイレだ」と怒っていた。
僕は横で、一人笑っていた。
女性の先生なので、宿題はここまでしか書かなかったが、
実は男性器にはもっと違いがある。
普通、「金隠し」と言われているあの便器、終わったあと、
ボタンを押して水を流す。
今はそこから立ち去ると自動で水が流れる仕組みになっている。
インドネシアのトイレは自動というのなないが、
ボタンを押して水を流す仕組みは同じである。
が、その水の流れ方がちょこっと違う。
日本は便器の壁を伝って、洗浄する。
つまりこれで便器を洗っている。
インドネシアは水の出るノズルがS字形になっていて、
水が流れても壁を伝わらない。
なんで、こんなことになっているのかと観察していると、
みんな用を足した後、左手でその水をすくって、
自分の「もの」を洗っている。
元々、インドネシアのトイレは紙がなく、
マンディーといって、水浴びをする場所と共同なので、
そこにたまっている水を左で取って、ウォシュレットする。
インドとと同じで、だから左は不浄の手とされる。
けど、おしっこしたときも、ちゃんと洗ってはったんやね…。
このトイレは写真に撮っておいたので、また後日。
今回24時間、前回36時間の授業で、初級コースが終了した。
すかさず、次のテキストがやってきて
「次来るときまでに、予習しておいてね」とは、
なかなか商売上手だ。
次、また来なければという気になる。
授業が終わると、
いつも次の授業を待つ生徒がロビーで待機している。
今回見かけるのは8割方日本人だ。
ちょっとした合間だが、挨拶くらいする。
「伺いましたら、歌舞伎役者の方なんですか?」
「え?違いますけど。」
「あれ、先生の間では、歌舞伎役者やってことになてますよ。
先生方は噂好きなので、
授業で言ったことはすぐに学校中に広まるんですけど、
結構思い込みも激しくて、間違った情報が流れるんです。」
…ちゃんと、落語家やっていうたんやけどなぁ。
姉キンの写真見せたから、歌舞伎役者やと思ったのかな?
まあ、役者みたいなもんやし(どこがや?笑)
このまま誤解しといてもらおう。
今日は一日、すごいスコールが何度もやってくる。
ジョグジャ最終日なので、
おいしいトリの唐揚げの店に、バスに乗って行こうかとも思ったが、
雨が止まないので、断念して、
いつもの中華屋で鯛の唐揚げとビールでお疲れ様。
以前の姉様キングス交換日記で書いたことがあるかも知れないが、
前にこの町で強盗にあったことがある。もう10年以上前の話だ。
マリオボロ通りという、大阪でいうたら御堂筋のような
メインストリートを歩いていたら、
いきなりタバコを吸わないかと差し出された。
ふっとそっちを見た瞬間、4、5人に取り囲まれ、
手も足も羽交い締めにされて、ポケットの中に手を突っ込まれて、
財布を抜かれかけた。
あまりのことに
ぎゃあ〜!!!
と叫んだら、声のでかさに、
賊は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
おかげで、何も取られずにすんだのだが、
噺家なりゃこそあんな大きな声がでたのだろうと、
この仕事やっててよかったと、今になって実感する。
実は今、バンコクでこの手の犯罪が急増しているらしく、
気をつけるように、大使館も勧告しているらしい。
ちなみに大使館はこの手の犯罪を
「強盗」ではなく「スリ」とカテゴライズしているらしい。
けど、被害にあった実感として、
あの恐怖はスリというより強盗だと思う。
以来、この町が怖くて、それこそ10年近く、ここを素通りしてきた。
2年くらい前から、また来るようになったのだが、
それでもトラウマからか、どうして好きになれなかった。
マリオボロ通りは結構、ゴミゴミしているし、実際ゴミも多く、
汚い町という印象があった。
今、通っている学校は泊まっているマリオボロ通りのホテルから
2キロくらい離れているので、
毎朝散歩もかねて30分くらいテクテク歩いている。
ちなみにインドネシア人は歩くのがあんまり好きでないらしく、
ホテルからここまで歩いてますというと、
みんな「アホちゃうか〜」と言う。
けど、この道中が非常に楽しい。
途中、下町のようなところを通るのだが、そこで生活をしている、
当たり前の人々を見るのが、嬉しいのだ。
笑談している老人、子供と遊んでいるお父さん、
ご飯を作っているお母さん…。
つつましやかで、微笑ましい風景が広がってて、幸せな気分になる。
で、学校は落ち着いた住宅地の中にあるのだが、
ここは、観光地でないので、人々は僕には目もくれない。
何も勧められないし、何の愛想もない。
あなた方から比べたら、
少しだけやけど、小金持ってる日本人やで、僕は。
もっと商売気だして、たかったら?
とこっちが思う程、見向きもされない。
まじめでシャイな人々ばかりだ。
で、どこもこぎれいだ。
この学校へ通いだして、この町のことが好きになった。
これだけでも、この学校へきたことはよかったと思う。
途中通る、下町の橋の上から、川でう○こしてる、オジヤンを見た。
おしり丸出しでやってたので、あまりの和やかさに、
写真におさめさせて頂きました。
帰ったらアップしますので、お楽しみに。笑
スタバは外人6割、現地人4割てな感じですね。
こっちにも、中産階級は結構いてて、
そんな人たちには、ちょっと高いけど、行けないことはない値段
なのです。基本、お酒は飲みに行きませんしね。
13日の金曜日、こちらは1割くらいはキリスト教信者で、
それも結構敬虔な人多いですけど、
あんまり、そんな話は聞きませんね。
それよりも、金曜日はイスラム教信者にとっては
大事なお祈り日なので、
9割がイスラム教のジャワではそっちの人の方が目立ってますわ。
歌舞伎いいなあ〜。そっちにいたら絶対行きたかったです。
蜘蛛の糸は昔、猿之助で見てて、そこから来てるはずですから、
演出は一緒ですよね?今の藤十郎のでもみたことあるある。
僕は座頭が木琴弾くのが印象的でした。
けど、早変わりは大好きなんです。
見たらすぐ、マネしたくなる…。(オバカ)
フィナーレは今回新たに演出したんでしょうね。
すごかったんやろうな…。(うらやましい〜)
「値打ちある」も大阪的でいい言葉ですけど、
僕は東京で見たとき、横のおばちゃんが
「ああ。面白かった!」っていうたんです。
言葉はよく分からないけど、きれいでなんかすごく面白い。
とにかく「楽しかった」って思ったみたいで、
僕らもこれやで!と思ったものです。
さて、日記です。
語学も体で覚え系やと思うので、気持ちよく分かります。
インドネシア語は他の言葉と比べて比較的簡単だと言われている。
実際簡単な言葉というのはない、という意見もあるが、
それでも、インドネシア語は日本語よりは簡単な気もする。
まず、日本語のように、単語さえ並んでいれば、
会話はなんとなく理解できる。
で、時制というものがない。
過去形も未来形もなくて、あるのは副詞のみ。
「もう〜してしまった」という言葉で過去を表し、
「まだ〜していない」というので未来を表す、といった具合。
表記はアルファベットをそのまま読んだらよいし、
2、3を除いて難しい発音もない。
で、インドネシア語は、戦後この国が独立がしたときに、
マレー語を元にしてできたものなので、
地域によっては全くの外国語として受け入れた人も多く、
年寄りなどは未だにあまり堪能でない人もいるそうだ。
だから多少の片言でも「はぁ〜?」みたいな対応はしない。
辛抱強く聞いてくれる。
しかもバリ辺りへ行くとちょっと喋っただけで、
結構感心されたりもする。
ただし、ジャワでインドネシア語は、喋れて当然、
わたいら英語なんかできまへんで〜。みたいな感じだ。
そのインドネシア語の中でも最大の難関は他動詞だ。
(と僕は思っている)
まず、日本語で考えても、
他動詞がなんのこっちゃ、よくわかっていない。
学校で「目的語を持つ動詞」と習ったような気もするが、
それってどういうこと?という感じで、
さあ、これは自動詞ですか?他動詞ですか?
なんていきなり提示されてもよくわからない。
日本語でわからないものがインドネシア語でわかる訳がないのだ。
で、その他動詞だが、
インドネシア語では他動詞化すると基本「me」がつくので、
「me動詞」と呼ばれる。
しかし、ここからがややこしく、根幹の言葉の最初のスペルによって、
この「me」が微妙に変化する。
たとえば、lihat(見る)はmelihatなのだが、
baca(読む)はmembacaとmemがつき、
arti(意味する)はmengartiとmengが付き、
pakai(使う)はmemakaiと変化し、
sewa(借りる)はmenyewaと奇妙きてれつな形になる…。
まあ、これはややこしいけど、
頑張れば覚えられそうな気がするのだが、
もっとややこしいのは他動詞化すると
意味が全く変わってしまう単語がある。
で、みんな意味が変わるのかというと、
そうでもなく同じのもある。
アシーに、意味が変わる単語と変わらない単語は
どれくらいの比率であるか聞いたら、
「うーん、半分くらいは意味が変わるんと違うかな?」という答え。
例えば、「起きる」という意味の「bangun」は
他動詞になると「作る」みたいな意味に変わる。
けれど、これはなんとなく分かる。
この場合の「作る」というのは、例文から想像するに「
何かを立ち上げる」という意味らしいので、
「起きる」とは根っこの部分ではつながっているのだろう。
もうひとつ例を挙げれば「意味する」のartiは
他動詞では「理解する」。
これも、何となくわかる。
意味していることを受け入れればそれは理解した、
ということなのだろう。
中にはイマイチ分からないのもある。
「住む」という意味の「tinggal」は他動詞になると「死ぬ」。
なんで?
これは、僕の想像であるが、このtinggal(住む)というのは、
「ひとところに止まる」という意味で使っているようだ。
例えば、僕は、今ソロのホテルでこれを書いているが、
僕は今ホテルに「tinggal」(住んでいる)とインドネシア語ではいう。
部屋に忘れ物をしたとき「○○を置いてきちゃった」
というのも「tinggal」を使う。
と、なると、魂が体から抜けてひとところに止まるのが
「tinggal」なのかな?とも思う。
ただし、これはインドネシア人の死生観とも関わってくるので、
何ともいえない。
ここのところをアシーに聞くのだが
「なんでかわからんけど、とにかく意味が変わるのよ」
としか教えてくれない。
その点、イカは理論的である。
「dorong」(押す)は他動詞になると「サポートする」
となるそうやけど、これはなんで?
と聞くと「メンタル的に、相手を押してあげる、
っていうのがインドネシアではサポートなのよ」と即答してくれる。
なるほど、落語の「愛宕山」で
「飛びたけりゃ、飛んで行け〜」と背中を押すのは、
明らかにサポートだ、と一人納得したりする。
両先生は一長一短で、なかなか面白い。