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姉様キングスの日々の行動をせきららにカミングアウトします…
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 今日はすごくいい天気。雨期のジャワには珍しく快晴だ。

 晴れるとすごい日差し。肌にずしっと、のしかかってくる感じで、
重くて刺すようだ。

 その中を1時間くらい歩いて、ジャワの伝統菓子を買いにいった。

 ここ、ミロタベーカリーはパン屋でもあるが、
伝統菓子をを色々扱っていると聞いたので、試しに。

 そもそも何でこれを買いに来たのかというと、昨日の授業で、
インドネシアの米と日本の米の比較、という話題が出たから。

 インドネシアの米は日本とはちょっと違うが、タイ米程は長くない。
で、バリのスーパーマーケットで「シンガラジャ産コシヒカリ」
という米を見たことがあるので、
きっと、日本米のような米も食べられてるはずだ。と僕が言うと
アシーは「そうよ、インドネシアには色々な米があるのよ。
日本みたいな米から、タイ米のように香りのある米
(タイ米はその独特な香りからジャスミンライスと呼ばれる)、
赤米もあるし、餅米もあるのよ。」
「餅米は日本にもあるよ。」
「じゃあ、同じね。餅米は主にお菓子用でしょ?」
「うーん?餅はお菓子的に食べられることもあるし、
食事として餅を食べることもあるよ。焼いたりして。」
「え???餅を焼くの??インドネシアでは焼いて食べることないわ。
主にお菓子を作るときに使われるのよ。
普通に炊いて、中に具を入れて、
バナナの葉でくるんで食べることもあるけどね。」
「そういえば前に、日本で柔らかい餅のような中に、
シロップが入って、ガワはココナッツの粉をまぶしてあるのを
食べたことがあるよ。」
「ああ、緑色のやつでしょ?」
「うーん、僕が食べたのは白かったけどなあ。」
「普通は緑色よ。シロップみたいなのは、ヤシから取った砂糖で、
こちらでは『赤砂糖』っていうのよ。
そのお菓子ね、名前は何ていうのだっけ…。
うーん忘れちゃったけど、ミロタベーカリーに行けば売ってるから、
食べたかったら行ってみたら?」

 で、買いに行ったというわけだ。
3種類買ってみて、写真も撮ったのだが、アップは帰国後に。

 午後からは、去年ジョグジャカルタに登場した、
トランスジョグジャというバスに乗って、プランバナンへ。
町から15キロくらい離れてるから、
タクシーを使えば相当な額になる。
今までは、タクシーで行くか、
バスを乗り継いで行くのが一般的だったので、
高いか面倒くさいかのどっちかを選択せねばならず、
もう15年くらい行ってなかったのだが、
トランスジョグジャはホテルの近所にバス停があり、
それに乗れば3000ルピア(25円くらい)で行ける。

 ああ、そうそう、プランバナンって何か説明してませんでしたね。
 ヒンドゥー教の遺跡です。お寺ね。
現地語では仏教寺院やヒンドゥー教寺院はチャンディと言うので、
正式にはチャンディプランバナン。

 元々、ジャワは仏教国だったので、その頃の遺跡がボロブドゥール。
その後、ヒンドゥー教に改宗して、その頃に作った遺跡がプランバナン。

 その後、イスラム教が入ってきて改宗、ということになったのだが、
改宗をいやがった王が家来や、手飼いの職人を連れて、
バリに逃げたそうで、だから、未だにバリはヒンドゥー教。
中部バリに行くと、例えば、チュルックは銀製品、
バトゥブランは石細工、マスは木彫り細工、
ウブッは絵描きの村になっているが、あれは職人が固まって住んで、
子孫に伝えていったからなのだそうだ。

 で、話を戻して、
実は、12月に来たときもプランバナンへ行ってみた。
チケットを買おうと並んで、8000ルピア払おうとすると、
外国人はあっちです、という。
行ってみると、特別入り口があって、10ドルと書いてある。
現地人は70円弱で外国人は900円て、
それはひどいと怒って入らずに帰ったのがだ、
今回、学校に来ている他の日本人に聞くと、
ジャワ大地震以来、崩れてしまったプランバナンを、
立て直す予算が国にはないらしく、ユネスコに丸投げしたらしい。
で、独立採算制を取らなければならなくなり、
外国人からぼったくる(?)という方法が考え出されたそうだ。

 まあ、それならお金を落としに行こうと、
行ってみると、たった2ケ月で、
1ドル値上がりして、11ドルになっていた…。泣

 ともかく入ってみたが、まだまだ改修中で、
遺跡には入ることができない。

 まあ、しょうがないけど、一応大金(?)払ったのだし、
遺跡公園の隅々まで歩いてみようと、
奥の方にある「セウィ」という名前のチャンディーに行くと、
中で掃除してたおじさんが、「入っておいで、入っておいで」という。
といっても柵があるから入れないよ、というと
その柵を乗り越えて入って来い、という。
聞けば、ユネスコの職員でボスは日本人だから、特別に案内したる、と。
あ、来たな…、とは思ったが、まあ、中へ入れるならついて行こうと、
連れて行ったもらった。
自分は親代々、この墓守をしてる者なのだが、親が最近死んでね、
で、今は一人でここにいるねん。
このチャンディーは仏教色が残っているチャンディーでね。
ここに蓮座が描いてあるでしょ?元々この上には仏様がいたのよ。
さ、こっちおいで。これがお参りの回廊、
ここをお経を唱えながらグルグルまわるねん。
ここにも仏様がいてね。
…とまるで、天王寺詣りの甚兵衛さんのごとく案内してくれた。

 外へ出ると、「先の地震で子供が大けがしてね。
ワシはお金が必要なんじゃよ…。」と、手でお札をコクまねをする。

 来た来た…。案内してもらったから払おうかなとも思ったけど、
さっき11ドルも払ったので、
「かわいそうやね。頑張ってね」とだけ言い残してその場を去った。

 帰りはジョグジャで一番大きなショッピングセンターへ立ち寄って、
久々にそこに入ってるスタバでお茶してから帰宅。

 スタバって、こっちでも、日本とあんまり変わらないくらいの値段だ。

 このお茶代を節約したら、
さっきのおじさんに少し施してあげられたのかな?とちょっと反省。

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 まあ、お姉様、揚野先生に習いはるんですね?
当日が楽しみですわ〜。
 
 クモグッズ見つけたらゲットしときますね。
ちなみに、クモグッズはインドネシア語でバランバランラバラバ、
…バラバラ言うのです。

で、また旅行記です。

 担当の先生はカ先生とルーシー先生と思っていたら、
2日目以降はアシー先生に変わった。
彼女は前回12月のときも担当であった。
(何で変わったのかは不明。ルーシーに、
昔の色町でいうところの「もらい」がかかったのか、
ルーシーが僕を拒否したのか。汗)

 インドネシアでは、目下の女性をMBAK
(ンバッ、と発音する、お乳母どんの「んば」と同じ発音)と呼び、
目上の女性、または結婚している女性をIBUを縮めてBU(ブ)と呼ぶ。
ちなみに男性は目下をMAS(マス)、
目上はBAPAKを縮めてPAK(パッ)と呼ぶ。
なので、アシー先生を僕は「ンバッアシー」と呼ぶ。

 アシーは僕のことを「パッセイイチ」と呼ぶ。
精一は本名です、はい。

 インドネシアの特徴なのか、ジャワの特徴なのか知らないが、
何かにつけて、「パッ」を連呼する。
「それでね、パッ、今日の授業のことやけどね、パッ、
次のカ先生はね、パッ、今日はお祈りの都合でね、パッ、
10分授業が遅れるそうやからね、パッ、よろしくね、パッ。」
って、旗本退屈男かと思いました。(例えが古い?)

 で、ンバアシーは例えたら、サザエさんみたいな雰囲気の人で、
大の噂好きである。なので、毎回色々な情報をくれる。

 ねえ、知ってる?カ先生はほんまカと違うねんで。
ほんまはイカやねん。けど、CUMICUMI(チュミチュミ)のこと
日本語で「イカ」っていうんでしょ?
CUMICUMI先生ってあだ名付けられるのがいややから、
自分のことカです、って自己紹介するねん。
でもイカっていう名前はジャワでは伝統的な名前でね。
最初に生まれた女の子につける名前やねん。
けど、最近では古くさいからって誰も自分の子に
「イカ」って名前はつけないねんけどね〜。
(日本でいうたらさしずめ、カズコはん、てなものか?)
けど、イカは週4回合気道習いに行ってるらしいから、
ああ見えて逆らったら怖いで〜。
 
 知ってる知ってる?前に習ってたクリスティンね、
結婚する、っていうてたでしょ?
けど、まだ結婚式してないねんで〜。
彼氏の仕事がジャカルタやから、取りあえずついて行ったんやけど、
むこうでも共働きにせなやっていかれへんから、今仕事探し中やねん。
仕事がみつかって、落ち着いたら、こっちへ帰って結婚式するらしいわ。
多分8月くらいになるんちゃうかな?

 ねえ、知ってる?今、この学校にはパッセイイチを含めて
8人の日本人がいるねんけど、
さっき、ロビーにいてた、アキちゃんね、
なんでインドネシア語習いだしたかっていうたらね、
バリにインドネシア人の恋人がいてて、
その子は日本語ペラペラやねんけど、
インドネシア語でしゃべりたいからってね、それで初めたのよ。
もう何回もここへ来てるねんけど、
いつもインドネシアに2週間滞在してね、
半分はこの学校で過ごして、
半分はバリの彼氏に会いに行ってるねんで〜。

 知ってる知ってる知ってる〜?あのユキコってこね、
12月から6ヶ月この学校へくることになったんやけど、
入学日が、12月24日やねん。
何でかっていうと〜、ジョグジャに彼氏がいててね、
その子とクリスマスを過ごすために、こっちへ来て、
そのままこの学校へ入学したってわけよ〜。

 きっとフリートークで聞き出した情報なんだろうけど、
…みんな筒抜けです。

 けど、ジョグジャ情報もたくさん教えてくれる。

 あそこへ行くにはどこから何番のバスに乗ったらいいかとか、
あそこへいけば、こんな変わった食べ物があるとか、
バティックはこの店で買ったら安いとか。

 なので明日は、教えてもらったパン屋さんへ
ジャワの伝統菓子を買いに行く事にしよう。

 お姉様は皇室ネタ好きがなので、少しジャワの王室の話を。
ネタはたくさんあるので、次があるかどうかわかりませんが、
取りあえずナンバーリングしてみました。

 インドネシアでジャワと言えば、ジャワ島を指すのではなく、
旧ジャワ王国を指す。ジョグジャカルタはそのジャワ王国の首都である。
以下は僕がジャワについて理解していることのなので、
間違っているかも知れないが、書いてみる。

 ジョグジャカルタは、日本の京都のようなところだと僕は思っている。

 古都であるし、学生も多いのだが、歴史的にみても京都と似ている。

 もともと、ジャワの首都はソロであった。

 ソロはスラカルタとも言われる、何とも素敵な町で、
僕の中ではインドネシアの中では好きな町ベスト3に入る。
ちなみにブンガワンソロ(ソロ川)という歌が戦後(戦中?)
流行ったので、ソロという町の名前を知っている日本人は案外多い。

 そのソロから分かれたのがジョグジャカルタ王室である。

 ちなみにちなみに、その後、ソロ王室は二つに分かれ、
ジョグジャ王室も2つに分かれ、それぞれの町に本家と分家がある。

 で、現在のスルタン(王様)は十代目である。

 現在の裏千家坐忘斉お家元は十六世なので、比べてみても、
それほど古くないことがわかる。で、今上はなかなかの賢者である。

 現在インドネシアはイスラム教徒のみ一夫多妻制が認められており、
(皆を公平に愛するという前提で、
最大4人まで妻を持っていいそうである。)
先代のスルタンはMAXの4人の妻がいたそうである。
が、現スルタンはかたくなに1人の妃しか持たず、
そのため(かどうかわからないが)子供は女の子ばかり3人だそうだ。

 ジャワ王室では女性には王位継承権がない。

 これには、ちゃんとした理由がある。

 実は、ジャワのスルタンはジャワを災害から守るため、
ジャワの守護神である、海の女神(名前忘れました)と結婚して、
その神様を便宜上、正夫人としなければならない。
女神と結婚するために、王様は男でなければならないのだそうだ。

 であるから、現スルタンの子供はみんな、民間に嫁いでしまったので、
次の王様は、日本で例えるところの秋篠宮かその息子となる。

 本来、それをさけるために、何人かの妻を持って、男子を作るのだが、
一夫多妻制に反対の現スルタンは妻を一人しか持たない。
 
 そんな人だから結構、人気がある。

 何年か前、インドネシア全土で暴動が起こったことがあった。
多くの大きな町では焼き討ち事件があり、
ほとんどの日本人が強制帰国させられ、
その頃さながら、インドネシアはテロにあふれていた。

 隣町のソロでも大きなテロがいくつもあり、
市役所やバティッククリス(インドネシアで一番有名なジャワ更紗の店)
の本店も焼き討ちにあった。

 当然、ジョグジャカルタでも市民は色めきだったのだが、
そのとき現スルタンはいち早く町に出て遊説したそうである。

 この町は何で成り立っているか考えなさい。
観光でもっている町なのです。
もしあなた方が暴動を起こしたら、どうなるか考えて下さい。
当然、「不穏な町」のレッテルが貼られて、観光客が減ります。
と、とたんに困るのはあなた方です。
この町で暴動を起こす事は即ち、天に向かってつばを吐くがごとく、
すべて自分に返ってくるのです。
だからこの町で暴動を起こしてはいけません。

 と。

 おかげで、インドネシアの都市では唯一と言っていい程、
この町には暴動がおこらなかった。

 その手柄もあり、現スルタンはジョグジャカルタ市民から
相当な尊敬を集めているそうである。


 ぐっすり寝て、6時半起床。今日からまた学校である。

 去年12月から行きだして、去年は一日6時間、
6日コースだったが、さすがに一日6時間はしんどかったので、
今回は4時間コースにして時間も少し早めてもらった。
前は、10時から1時と1時間休憩して、2時から5時だったのを、
今回は9時から11時で1時間休憩して、12時から2時。
ホテルへ帰っても2時半なので、後は他のことに時間が使える。

 9時少し前に行くと、今日は校長のニンシ先生はまだ来ていなくて、
今日から担当のカ先生が出迎えてくれた。
「カ?カだけ?」と聞くと「そう、KA」
この先生、どっかでみたことあると思ったら、
顔といい、小ささといい、落語作家のくま○わあかねさんそっくりだ。

 12月に来たときは。前半がアシー先生。
後半はクリスティン先生だったのだが、
クリスティンは結婚してジャカルタに行ったので、
今回の担当の先生は総入れ替わりになるそうだ。

 で、授業だが、2時間のうち1時間半以上はフリートーク。
世間話をしながら、言葉数を増やしていく。
なので、ほとんど僕が喋る。

 初対面の先生が必ず聞いてくるのは、
何でインドネシア語を習おうと思ったのか?

 いつもこんな風に答える。

 最初にインドネシアに来たのは今から19年前。
大学のときに、演劇と音楽学に所属していたので、
学内にガムラングループがいた。
今でもそのメンバーの人たちとは付き合いがあるのだが、
その影響でインドネシアを旅行してみようと思った。
バリ島に、日本語が話せるオーナーのいるホテルがあり、
日本でバリガムランをやっている人たちはそこを定宿ににしていたので、
僕も勧められてそこへ泊まった。
おそらく当時一泊500円くらいの宿だったと思う。
 そこで、東京芸大のガムラングループに会って聞かれた。
「あなたはどれくらいインドネシア語ができますか?」と。
その頃、僕は「ありがとう」も「こんにちは」も言えなかった。
で、その人にこう言われた。
「それだったらあなたはこのホテルに泊まる資格はないし、
この地域にいる資格もない。
確かにオーナーは日本語ができるが、
他のスタッフはインドネシア語すら、堪能でない人もいる。
(現地ではバリ語で喋るので)
一歩ホテルを出たら更に更に、である。
1万円くらいだせば、リゾート地に日本語が通じる宿があるから、
もしインドネシア語が全くできないなら君はそこへいくべきだ」
…当時、かなり悔しくて、
さあ、それなら次に来るときには
もっとインドネシア語を勉強してやろう!とリベンジを誓うのだが、
結局いつまで経っても、上達しない。
最近気がついたのだが、僕はかなり人見知りする性格なので、
自分から人を捕まえて、喋るなんて、到底できない。
これがいつまで経っても上達しない原因だ、と最近気づいて、
こうして、学校に来る事にした。

 と。

 昼ご飯は近所のサテ(串焼き)レストランでヤギのサテを。

 今回は携帯で、食べ物写真を中心に、色々撮るつもりなのだが、
アップは帰国後になります。お許しを。

 午後はルーシー先生。朗らかな、何となく幼稚園にいそうな先生だ。
すごく楽しそうに話を聞いてくれるので、何となく盛り上がる。

 午後は、テキストを一瞬読む。スポーツの話題。
これを元に、スポーツについてまた1時間半以上語る。
ところが、スポーツに全く興味のない僕は、この話題では広がりがない。
 
 頑張って、朝青龍が優勝したことと、
日本では今、ゴルフをやってる少年で「ハニカミ王子」
という人がいるということを一生懸命喋る。

「へえ、『ハニカミ王子(インドネシア語で
PENGERAN PEMALU→はずかしがりな王子、と訳してみた)』
っていうの?で名前は?」
「SAYA TIDAK TAHU(知りません)…。」
(なんぼほどスポーツ音痴やねん…)

帰ってダラダラして、
夕食は中華料理屋でTOHU SAPO
(豆腐を土鍋で炊いたような料理)とビールで。


 お稽古始まりましたか?
全くお稽古に参加できないのはつらいところですが、
台本は持ってきてますので、旅行中に完璧に覚えときます。

 金色夜叉ですね。
「熱海の海岸散歩する〜貫一お宮の二人連れ〜」のメロディー、
帰ったら練習しますワ。

 ところで、普段はコーラなんて飲まない僕ですが、
香港のレモンコーラって案外おいしいのです。

 コーラとクエン酸が同時に取れるのですから、きっと米○治さんに
超お薦めの飲み物です。笑

で、日記の続きです。今日はちょっと長文になりました。


 6時半チェックアウト。空港着7時半。

 空港でチェックインをすませたのが8時前。またおなかが空いてきた。
スタバにでも入ろうと思ったが、どうせなら搭乗口の近くがよかろうと、
2、3軒やり過ごしてたら、搭乗口付近にはilly coffeeしかなく、
朝からエスプレッソもヘビーなので、何も食べずに9時半搭乗。

 13時過ぎにジャカルタに到着。
ちなみに香港、ジャカルタは1時間の時差があるので、
実際のフライト時間は4時間半であった。

 実は、今日の移動がこの旅一番の山場なのだ。

 香港からジャカルタまではキャセイパシフィックを使うが、
ジャカルタからジョグジャカルタまでは
エアーアジアという航空会社を使う。
このエアーアジア、他と比べてむっちゃ安い。
例えば日本のJALに相等する、ガルーダだったら、
6~7000円かかるフライト代が
正規料金で2000円ちょっとなのだ!
その代わりに無駄なものは一切省いてある。
乗っても何もでない。
飲みたい、食べたい人は、事前に予約するか、その場で買う。
ビジネス、ファーストクラスなし。
乗組員も2名だけ。預けられる荷物は15キロまで。
誰かが言うてたが、「これ、バス?」みたいな感覚である。

 で、今回の私の荷物を関空ではかったら、27キロ。
ノートパソコンや諸々の貴重品は手で持っているから、
それを合わせると30キロは超えるだろう。
預けられる荷物は15キロまでだから、
後の15キロは手荷物としてトランクから出さねばならない。
次から先の移動は、語学学校で使う辞書本類を
ジョグジャカルタから日本へ送るつもりなのでぐっと軽くなるが、
この移動は全荷物の半分を手荷物にしなければならないのだ。

 とりあえず、本類、辞書類、電子機器類を手荷物にして、
香港で計ったら、トランクの重さは19キロ。
ジャカルタで残り4キロを引っ張りだして手荷物にせねばならない。

 既に10キロくらいをしょいこんで歩いているので、随分動きが遅い。

 まあ、乗り換えに2時間あるし、余裕だろうと、それでも急ぎ足で、
早々と入国審査へ。
インドネシアへの入国は数年前から、ビザがいるようになり、
僕の場合は12日間の滞在なので25ドル払わなければならない。
が、お金は現地で払えばいいので、ドルさえ持っていれば楽勝なのだ。
途中、ビザを買うカウンターがあったがCLOSEと出ている。
いつもはバリから入国するので、
ジャカルタからの入国の勝手がわからないが、
きっと、ジャカルタは入国審査のときに審査官に
直接お金を払うのだろうと、やり過ごした。
ところが他人の入国審査を遠くから見ていると、
誰もお金を払っている形跡がない。
「ラッキー!!きっとジャカルタから入国したらビザは要らないんや〜」
とまたもや早合点して、順番がきたので、パスポートを渡すと
「あれ、ビザまだ払ってませんね?」と言われた。
「だって窓口クローズでしたよ」というと、
「左側はたまたまクローズしてますけど、右側開いてたでしょ?」
振り返ると確かに開いている…。
あわてて戻って、今度は黒山の人だかりの最後に並んで、ビザを購入。
この頃にはフランスからの便も到着して、
入国審査は長い列になってた…。
この失敗で30分のロスタイム。

 えらいこっちゃ!と出発ロビーへ急ぐ。
国内線はターミナルの一番端やったよね?
とガイドブックをよくも見ずに、
端っこへ急ぐ。このターミナルがまた大きいのだ。
端から端まで300mはあるだろう。
で、端っこに到着したら、確かに国内線なのだが、
ガルーダのカウンターしかない。
そこらにいたポーターに「エアーアジアに乗りたいんですけど」
と聞くと「ああ、残念ながら反対の端だよ」という。

ぎゃあ〜!!300m、走る走る!!
反対まで走ると、果たしてあったのは
…エアーアジアの国際線乗り場だった…。

 慌てて、カウンターに飛び込んでお姉さんに聞くと、
「ここは国際線とガルーダの国内線のみの第3ターミナルなんです。
この空港は3つターミナルがありまして、
一般国内線は第1ターミナルで、
ここから1キロ程離れたところにあるんです。
中でもエアーアジアは1-Cのターミナルですのでお間違えなく。
黄色のシャトルバスが出てますのでそれに乗って下さい」

…OH MY GOD!!またもや大荷物を持って走る走る。
あわやであったが、なんとかカウンターにたどり着いた。

 もう、こうなったら、4キロ分の荷物を降ろしている時間がない。
背に腹は替えられないので、仕方なく超過料金を払うことにした。
案外取られるのだろうと覚悟していたら、
4キロ超過で8万ルピア(700円くらい)…。
こんなんやったら、重い思いして荷物持たんでもよかった…。トホホ。

 なんじゃかんじゃで、ジョグジャカルタのホテルについたのが5時。
おなかが空いたが、今食べると中途半端なので、
まずは隣接のスーパーに買い出しに行く。
水やらビールやら、石けん類やら朝ご飯のドーナツやら買ってきて、
虫養いにとビールとクラッカーを食べてたらどっと睡魔が襲って、
そのまま、食事にも行かず、朝までぐっすり。
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